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2008/05/04 22:13
逆説の十カ条
一.人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。
二.何か良いことをすれば、
隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。
三.成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
それでもなお、成功しなさい。
四.今目の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。
五.正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。
六.最大の考えをもった最も大きな男女は、
最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。
それでもなお、大きな考えをもちなさい。
七.人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。
八.何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。
九.人が本当に助けを必要としていても、
実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい。
十.世界のために最善を尽くしても、
その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。
※ケント・M・キース著『それでもなお、人を愛しなさい――人生の意味を見つけるための逆説の10カ条』(大内博訳、早川書房・02年8月刊)より引用
上記の詩をどこかで既にご覧になった方がいるかも知れません。
これは一般に「マザー・テレサの祈り」として知られる詩です。「マザー・テレサの祈り」の場合は上記より2つ少ない8つよりなっています。でも、この詩の元々の出典は、アメリカのケント・キースという方が若い頃に書いたものがもとになっているのです。
ここに引用・紹介した「逆説の十カ条」は、元々は著者であるケント・キースさんが、60年代末、大学2年の時に書いた高校生リーダー向けの小冊子の一部で、それが多くの人に読み継がれ、ついに海を渡ってマザー・テレサの修道院の壁に誰かの手によって書き記され、そして、約30年ほど経ってから、ルシング・ヴァーディ編『マザー・テレサ語る』(早川書房・97年刊)という本の中に引用・紹介される形で、マザー・テレサの言葉として著者の許に戻ってきたのだそうです。上記で引用した著書は、原著者のケントさんがそのことを受けて、新たに「逆説の十カ条」のこころを解説した本で、『それでもなお、人を愛しなさい』は、原著の意味を汲んで「逆説の十カ条」の第一項目から翻訳者によって選ばれた訳題です。
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さて著者は、全く意味を為さなくなった狂ったこの世の中で、人々がかけがえのない個人として《意味》を見出し、《違いを起す》ことの重要性を繰り返し説いています。著者の言う「逆説的な人生」とは、愛だけでなく、愚かに《希望》を抱き続けることの薦めでもあるだと思います。そしてこのような生き方は、まさにクリスチャンの人たちがよく言う「聖なる愚か者」のことだと思うし、その意味でとてもキリスト教の精神につながる本だと一読した時に感じました――いや、キリスト教ばかりでなく仏教も、そして全ての宗教は、この世に対してまさにような「逆説」を生きることを薦めているのではないでしょうか。
そして次に、その意味で言えば、世界の平和を願い求める行為もまた、この「正常な」世間一般の常識家や或は専門家から見れば愚かなことに違いない、という思いを懐きました。
確かに人の善性を信じることや世界の平和を求めることを「甘ちゃん」のすることのように思う人も多いだろうし、それはそれで一理も二理もあるでしょう。或はまた、日本人の一般大衆を「平和ボケ」と言って憚らない自称知識人が昨今は大勢見受けられます。しかしながら、この詩の原詩者であるケント・キースさんの言う「逆説的な生き方」=「愚か者の生き方」こそ、実はこの「狂った世の中」に求められた真実の「正気の生き方」であり「真実の生き方」であるのではないか。そして、たとえ愚かと謗られようと、私たちは、希望を持って、現代のような「狂った世の中」ではなく、謂れのない苦しみに罪も無い人が苦しまなくてもすむ「正気の社会」の実現を信じて生きてゆきたいと思うのです。
心ならずも「テロ社会」実現を目指す戦争好きな「正常な」大人たちに対して、私たち「愚かな」子どもたちのアンチ・テーゼが今こそ必要なのだと強く感じる次第です。
世界人類が平和でありますように
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